【085】 格  子  戸

  格子戸の家があると、 妙に懐かしい情感をおぼえる。 なぜだろうか。 格子戸から、 ごく自然にちょっと奥をのぞき見る。 もう何十年前の情景だろうか。 格子戸の家が残っているだけでも、 下町に情緒を感じる。 

  碁盤の升目の奥には、 庭の花壇に四季の花が咲く、 縁側の老夫婦が日向ぼっこする、 幼子が庭で三輪車のぺたるを漕ぐ。 生活が明け透けにみえるそんな時代があった。 「胸襟を開く」ということばがあるが、 格子戸の家と家は、 良い近所付き合いができた。 
 

「奥さん、 いる?」
「まだ、 使いから帰ってないよ。 どこかで立ち話しさ。 井戸端会議が忙しい女房だから」
「煮物を作ったら、 食べてみて」
 ガラガラと戸が開く。 
「悪いね。 いつも」
「あら、 こちらこそよ。 昨日は奥さんに、 魚をいただいたわ。 新鮮で、 とてもおいしかった」
「外房に、 釣りに行ったもので、 な。 お裾分けさ」
「あら、 そうなの。 坊主だったから、 魚屋で買ってきた、 ときいたけど」
「余計なこというものだ。 亭主の恥をさらして、 喜ぶ女房さ」
 

「先月の末、 戴いた、 ハゼは甘露煮にしたら、 おいしくできたわ。 うちの亭主が酒のつまみに良い、 と独り占めするから、 こっそり他に隠したの」
「あのハゼは正真正銘、 浦安で、 わしが釣ってきたものだ」
「ごちそうさまでした。 じやあ、 煮物はここに……。 器は後でいいわ」
「女房が帰ってきたら、 持って行かせる」
「急ぐものじゃないし、 いいのよ」
 格子戸の閉まる音がした。 家に鍵を掛ける風習はなかった。 近隣どうし、 心の鍵をも掛けず、 あけすけなふれ合いができた。 
 ガラガラと格子戸が開いた。 中学生の娘が帰ってきたようだ。 
 

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