【055】 裏側の花道
  高度文明によるモータリゼーションは、 東京下町の街を分断した。 幹線道路が縦と横に走り、 升目を作る。 一つの町が幾つものブロック割にされてしまった。 隣近所ということばが死後になりそうだ。
  かつては田園のあぜ道だった。 いつしか一車線の舗装道となった。 だれもが水溜り、 ぬかるみから開放された。 雨の日が歩きやすくなったと、 みんなして喜んだものだ。
  一車線の道は狭すぎる、 車の通行には細すぎる、 と言い出したものがいた。 こうも狭いと、 車がすれ違いの際、 子どもが巻き込まれる、 死傷事故が起こる前に拡張すべきだ、 と声高にいうものがいた。 子どもをダシにすれば、 格好よくひびく。 
『下町の道路は一車線で良い』と反対はできにくい雰囲気となった。 
  声高の男たちが中心になり、 陳情がくり返えされた。 道はやがて二車線になった。 他方で、 車の交通量が年々多くなってきた。
  道路が直線的でないと、 大型車がカーブを曲がりきれず、 民家に突っ込む怖れがある。 危険だといい、 希望もしない民家が立ち退かされた。 直線道になった。 それもつかぬまのことだった。
  交通渋滞の解消という名目から、 拡張工事がつづき四車線道路となった。 幹線道路と呼ばれた。 道路の両側には、 高い騒音防止の防護策ができた。 その裏側が生活道路となった。
  住民たちは花の種を持ち寄った。 そして、 緩衝地帯の細長い空間に撒いた。 いつしか四季折々に咲く花壇ができた。 幹線道路の車からは決して見えない、 花の細道が下町にはあるのだ。

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