【037】 煎  餅  屋
  仲見世通りに近づくと、 とたんに煎餅を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
 細長いアーケード街の角の小さな店からだ。 一畳間の狭いスペースでは、 おばさんが煎餅の生の素材を一つひとつ丹念に金網にならべ、 真っ赤な炭火で焼いている。 

  終戦直後から、 おなじ場所で、 おなじように焼いている。 時の流れ、 時間の流れも、 無関係のように、 毎日みる風景だ。 いつもおなじ手つきで、 おなじ円形で、 こんがり焼きあげている。 

  焼く途中で、 おばさんが座布団から腰を持ち上げると、 10枚をならべた網をさっと回転させる。 裏表をひっくり返す手の動きは敏捷だ。 ふたたび腰を据えたおばさんは、 ゆっくりした時間にもどり、 均一なコゲ目をつけていく。 

  一区切りついたらしい。 おばさんがやおら立ち上がると、 焼きあがった煎餅を袋と箱詰めにした。 として店頭に置いた。 

  ベビーカーを押す若い母親が、 名物の手焼き煎餅の店頭にやってきた。 下町育ちだから、 ここの味を知っている。 
「5枚ちょうだい」。 彼女は子供のころ「白、 えび」が好きだった。

  母になると、 「胡麻、 海苔」が好きになった。 
昨日はちょっといたずら心で、 「唐辛子の煎餅」を2歳の息子に与えたら、 泣き出したと、 おばさんに教えていた。 

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