【004】 人情の源は風呂屋
 路地の奥には風呂屋の煙突がにゅっと立ち上がる。 雑然とした家並みから飛びだす巨きな煙突には、 にゅっという比ゆが似合う。 スマートさも美観もないが、 違和感もない。

 風呂帰りの二十代の女性とすれ違う。 石鹸の匂いがぷんと鼻腔をくすぐる。

 下町の家々狭く、 内風呂をもつ家庭がすくない。 昔ながらの銭湯の利用者が多い。 そこからも裸の近所づきあいがはじまる。

 どの時間帯をのぞいても、 富士山のペンキ絵を背にした近所どうしの語らいがある。 まわりをはばからない話し声が、 高い天井に反響する。 女風呂の会話が、 男風呂でも筒抜けだ。
 江戸っ子はぬるま湯が嫌いらしい。 いつも熱い湯だ。 足指を入れても、 すぐに引っ込めたくなる。 浴槽には気泡がぶくぶくと音を立てるから、 なおさら熱く感じてしまう。 この熱い湯になれないと、 下町の団欒の場に溶け込めない。 がまんして浴槽に沈む。 初老の男性が話し相手になってくれた。

 近ごろ風呂屋に客寄せなのか、 客の健康を思ってか、 薬草を入れている。 そんなものがなくても、 心と心のふれあいの妙薬があるのに、 と思ってしまう。

「母ちゃん、 もう上がるぞ」

 5O歳になっても、 夫婦で銭湯にくる。 それが下町の気取りのない姿だ。 思わず微笑んでしまう。


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